既に私のライフワークになっている開運旅行。そして私の人生にはマイルも欠かせません!
またまたマイルで開運です。
開運といえば、熊野本宮・熊野速玉大社も外せません!
ということで熊野三山の二社・熊野本宮大社と熊野速玉大社を訪れました。
天気にも恵まれ、山道は少々疲れましたがとても良い旅行になりました♪(´▽`)
開運旅行に出ると時々、何だか少し不思議なことに出会ったりするんですよね。今回もありました!
小さなことを見逃さないのも開運のカギ。
今回は熊野本宮大社と熊野速玉大社に行ってきました!
いざ!「よみがえりの聖地」熊野三山の熊野本宮大社へ
古来より多くの人が訪れた熊野本宮大社にやって来ました!
室町時代には「蟻の熊野詣」と云われるほど絶え間なく人々が行き交っていたのだそう。
熊野本宮大社の基本情報
熊野本宮大社に到着!
158段の石段をせっせと昇り、息を切らせていたところ。
途中にあったのがかつての本宮大社を俯瞰した絵。
周囲の山々よりもずっと高いところから見下ろすような視点。
どうやって描かれたんだろうって思い、運動不足を感じつつ、神門の手前までくると…
熊野本宮大社の解説です。
- 主祭神の家津美御子大神は植林を奨励され、造船の技術もお教えになり、外国との交通を開かれた
- 第十代崇神天皇の時代に社殿が造られた
- 奈良時代の頃から修験者が頻繁に出入りするようになった
- 今から千年ほど前には熊野御幸が盛んに行われ、それによって多くの人が熊野三山に参拝に訪れるようになった
- 享和2年(1802年)徳川家斉の命によって大斉原に社殿が建立されたが明治22年(1889年)大出水のため、無事だった四社のみ現在地に遷座
- 旧社地の大斉原には石の祠があり、西には中四社・下四社、東には元境内摂末社が合祀されている
神門までたどり着きました!
「甦り・出発の地」と書かれているのが見てとれます。
境内に入るとうっそうとした中に古式ゆかしい佇まい。
こちらは本殿。上四社が祀られています。
参拝の順序も厳格。予め調べておいた通り写真中央から左へ、それから右へとご参拝。(詳細はこちらで)
なお上四社のご祭神は以下の通りです。
〈熊野本宮大社のご社殿とご祭神〉
社殿 | ご祭神 | |
第一殿 | 西御前 | 夫須美大神 |
第二殿 | 中御前 | 速玉大神 |
第三殿 | 証誠殿 | 家津美御子大神 |
第四殿 | 若宮 | 天照大神 |
烏文字の牛王神符と黒が美しい八咫烏ポスト
熊野三山といえば牛王神符(ごおうしんぷ)も有名です。「お烏さん」とも呼ばれるそう。
「烏文字」という特殊な文字で書かれたご神符は災厄除けに効果絶大とのこと。
例えば
- カマド(ガスの元栓)に祀ると火難を免れ
- 門口に祀ると盗難防止
- 旅行などに携帯すると乗り物酔いを防ぎ
- 病人の床に敷くと病気平癒
など。
また、鎌倉時代にもなると「誓約書」としても使われるように。ご神符の裏に約束事が書かれていました。
つまり熊野の神様を立会人として約束が交わされていたということです。
もし約束を破るようなことがあれば
- 熊野神のお遣いであるカラスが1~3羽死ぬ
- 破った本人も血を吐き死に地獄へ堕ちる
と、とても恐ろしい言い伝えがあったそうです。
また
- 毎年1月7日に八咫烏神事が行われ、そこで牛王刷り初め・宝印初めでその年の新しい牛王符ができる
- 松の木を使った木版の形は家津御子大神・熊野夫須美大神・熊野速玉大神の御魂を現したもの
といったことが書かれていました。
熊野では神のお遣いとされる3本足の鳥「八咫烏」のポストが社務所前の多羅葉のご神木の下に設置されています。
きれいな黒のポストは思わず立ち止まって眺めてしまいます^o^
黒は神のお遣いである八咫烏の色であり
- 全ての色をあわせた尊い色
- 本宮の大地の色
という意味を持っています。
ご神木でもある多羅葉の木の葉ははがきの起源だそうで、本宮では実際にはがきとして投函できる「八咫烏ポスト絵馬(500円)」も購入できます。
もちろん、通常のはがきや手紙も投函できますよ。
社務所で「出発の地より心をこめて 熊野本宮」というスタンプも押印してくださるとのこと。
ポストをしばし眺めたあと、ふと空を見上げるとまるで八咫烏を思わせるような雲が浮かんでいました!
3本足で羽を広げたような形…。
「帰ったら何か新しいことを始めてみようかな」と考えつつ熊野本宮大社を後にしました。
「濡れわら沓の入堂」熊野速玉大社へ
お次は熊野川の河口に鎮座する熊野速玉大社です。
熊野速玉大社の基本情報
熊野速玉大社に到着!
さぁ、熊野速玉大社に着きました!
こちらは他の二社に比べて起伏の少ない地形なのでわりと楽でした♪(^∇^*)
きれいな青空と朱の神門がとてもよく合ってるなぁ、と1枚。
いよいよご参拝です!
と、その前に…
「熊野御幸(くまのごこう)」についての解説です。※「御幸」は上皇・法皇・女院の外出
熊野三山が「蟻の熊野詣」と云われるほど多くの人に知れ渡ったのは熊野御幸があったから、といわれています。
熊野御幸を行った上皇・法皇は907年宇田法皇~1281年亀山上皇まで374年の間に9名で102度。
女院では1126年待賢門院~1214年道助法親王まで88年間14名で38度。(「熊野御幸の記録」より)
こちらの解説によると概ね以下のような内容です。
- 熊野御幸が行われる際には事前に陰陽師に日時を占定させ、斉館にこもって精進するなど準備に何日もかけていた
- 白河上皇の天永元年(1110年)の御幸では814人もの大所帯だったと記されている
- 御幸の道順は京都→住吉→和泉→紀伊半島海岸沿いに南下→田辺→中辺路→本宮→熊野川下り→熊野速玉大社参拝→那智山→雲取→本宮
- 帰りはその逆
さて、神門をくぐると…
前方左に拝殿が見えます。
拝殿の奥には結宮と速玉宮。拝殿の隣は上三殿です。
ではここで社殿とご祭神についてまとめておきますね。
〈熊野速玉大社のご社殿とご祭神〉
ご社殿 | ご祭神 | ||
上四社 | 第一殿 | 結宮 | 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ) |
第二殿 | 速玉宮 | 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ) | |
第三殿 | 証誠殿 | 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ) | |
第四殿 | 若宮 | 天照大神(あまてらすおおかみ) | |
神倉宮 | 高倉下命(たかくらじのみこと) | ||
中四社 | 第五殿 | 禅児宮 | 天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと) |
第六殿 | 聖宮 | 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) | |
第七殿 | 児宮 | 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) | |
第八殿 | 子守宮 | 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) | |
下四社 | 第九殿 | 一万宮 | 国狭槌尊(くにさつちのみこと) |
十万宮 | 豊斟渟尊(とよくむねのみこと) | ||
第十殿 | 勧請宮 | 泥土煮尊(ういじにのみこと) | |
第十一殿 | 飛行宮 | 大戸道尊(おおとのじのみこと) | |
第十二殿 | 米持宮 | 面足尊(おもだるのみこと) |
オガタマノキとナギノキ
神門脇には「オガタマノキ」。
こちらはご神木ではありませんが、あんまり大きくて立派なのでご神木と勘違い^^;
市の指定文化財なんですね。
神殿に備えて神の霊を招く習わしから「オガタマノキ」と名付けられたとあります。神社には古くから植えられていたと考えられますね。
樹齢は何年くらいなんでしょうね??ほんと立派( ⓛ ω ⓛ *)
↓ご神木はこちらでした^^;
ご神木の「ナギ」は樹齢千年!
近くに行くとひんやりと冷たい風が心地よく吹き抜ける感覚があります。
古来よりこの梛の葉を懐中に忍ばせてお参りする習わしがあったんだそう。
その頃は熊野三山のご参拝って命がけ。無事を祈ってのことだったようです。
今でもこの葉を使ったお守りなどいろいろ種類があります。見ているだけでも楽しいくらい!
速玉大社ご参拝の折には授与所もぜひ覗いてみてくださいね。
まとめ
熊野本宮大社は険しい山中にあり体力に自信がない方はご参拝をためらうかも知れませんね。
そんな中でも速玉大社は河口に鎮座していてご参拝しやすいと思います。
雰囲気も個人的に一番親しみやすい感じがしました。
ただ次はもっと時間をかけて熊野三山を巡りたい!そのためには体力つけなきゃ!
けどその前にもっと頑張ってマイル貯めよ( •̀ ω •́ )✧