岡山・サムハラ神社参拝!!呼ばれないといけないという噂の神秘の神社

サムハラ神社鳥居の一部 神結びの旅・マイルで開運

今回は、岡山県の山奥にある、呼ばれないと行けないという不思議な神社へと開運参拝いってきましたよ♡

何でも山奥にあるのでカーナビに頼ることもできず、途中までは行くことができたのに何故かサムハラ神社近くで道に迷ってしまったり、急用で断念せざるを得なかったり…。

事故を起こしてしまった方までいて、ついには「呼ばれた人しかたどり着けない」と云われるように。

つまり本当に必要としている人だけがたどり着けるところ。神秘的です。

それに「宇宙とつながっている」だけあって不思議なことはまだまだたくさん!

私も今まで経験したことのない感覚がありました。それについては本文で。

今回は岡山サムハラ神社参拝の体験談をお伝えいたします。

旅のお供はいつものマイル!思い立ったらひとっ飛び!

簡単に「岡山の」と言っても、東日本に住んでる者にとっては遠いんです…。特に陸路では時間が(T_T)

ただ私の強い味方・マイル。

普段の生活はマイルのため、と言っても過言ではないってくらいマイルにご執心^^;

それもこれもこんな時のため。

今回もマイルを使って飛行機で行っちゃいます!ありがとう!マイル!

お天気も良く絶好のお出かけ日和。わくわくが止まりません。

あっという間に岡山に到着!

荷物を待っていたら…

レーンにはかわいい桃太郎が流れてきました^^)思わずほっこり。

さぁ!ここからはレンタカーで移動です!

神秘のパワースポット!サムハラ神社に到着!

無事にたどり着けたということは、私も踏み入れることを許可してもらえたのかも…なんとも感慨深い。

ではここで簡単に御由緒と歴史に触れてみましょう。

岡山・サムハラ神社の御由緒

まずは「サムハラ」という聞きなれない言葉。サンスクリット語(南アジア・東南アジア等でかつて使用されていた言語)の「三祓羅(サンバラ)」が語源とされています。

古代より「三祓羅」と唱えると災いなどから身を守ると信じられていました。

日本ではサムハラといえばサムハラ大神。

  • 天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
  • 高産巣日大神(たかみむすびのかみ)
  • 神産巣日大神(かみむすびのかみ)

の三柱の総称です。

サムハラ大神は森羅万象、つまり宇宙に存在する全てを創造した神で「造化三神」とも。

あの

  • 伊邪那岐命(イザナギノミコト)
  • 伊邪那岐命(イザナミノミコト)
  • 天照大神(アマテラスオオカミ)

の親神にあたり、神様をも創造したのがサムハラ大神です。

そのサムハラ大神を主祭神として祀っている世界でも唯一の神社がサムハラ神社というわけです。

岡山・サムハラ神社の歴史

1581年(天正9年)安土城が完成して5年ほど経った頃のこと。

現在、サムハラ神社が鎮座している日詰山にはすでに神字(神代文字・漢字伝来より前に日本において使用されていた文字または文字様。偽作と主張されているものが多数)で「サムハラ」と書かれた石碑がありました。

当時、そこには落合城が築かれていて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣・宮部継潤(みやべけいじゅん)が駐留した折、その石碑を熱心に拝んでいたという。

その頃には武者の間では「サムハラ」の石碑を拝みその神字を書いた紙を身に着けておけば弾に当たらないと「弾除け」や「災厄除け」のご利益があると信じられ、信仰されていました。

その後江戸時代を通して信仰の火は消えず、時代が変わって1868年(明治元年)。この地に田中富三郎が生誕。

1935年(昭和10年)、サムハラ神社の祠が荒廃していくのを嘆き再建。が翌年、岡山県から「無願神社」であると指摘されたことから自らの手で破却。

しかし事業で成功を収めた田中氏は戦後1946年(昭和21年)に祠を再建。それが現在の旧奥の宮です。

その後大阪に自費で本殿を建立しました。

田中富三郎氏は万年筆業界のパイオニアで「田中大元堂」の経営者。

サムハラ大神への信仰が厚くそのおかげで日清・日露戦争から無事生還したと話していたという。

1967年(昭和42年)逝去。享年100歳。

…と言ってるうちに駐車場に着きました(*^^*)

まずは鳥居の前でご挨拶

鳥居広場にて鳥居の前でご挨拶。
ここから拝殿へと向かいます。

苔むした鳥居と緑深い山々に囲まれた神社で、なんというか…空気の質がちがうというか…神社に入る前から神聖な気持ちになりました。

手前の古い鳥居で丁寧にごあいさつ。真ん中に立ってはいけませんよ。

 

ふと、鳥居の脇の木に目が行くと、アマガエル君が…お出迎えしてくれたのでしょうか♬

さて、鳥居をくぐるとそこから長い石段を昇り、金毘羅さんの広場へとでます。
そんなに長い石段ではないのですが、なかなか勾配があるのか…はたまた普段の運動不足からなのか…けっこうしんどい…(^^;)

 

すぐ近くには金刀比羅神社

結界から奥の宮へは現在上がることができません。

そこで結界の後は金毘羅さんへお参りです。

ここ金刀比羅神社は1660年代に四国の金刀比羅神社の分霊を移し祀られました。ご神徳は海上安全です。

サムハラ神社よりも先にお参りするのが良いとされています。

想像していたよりも立派な本殿。

ひっそりとはしていますが手入れが行き届いています。

調べておいた作法に則ってご参拝。

  1. 浅く一礼
  2. 深く二礼
  3. 二拍手
  4. 深く一礼
  5. 浅く一礼

金毘羅さんにご参拝できたことに感謝。

ぜひ立ち寄りたい展望台

お参りのあとは展望台へ。サムハラ神社へはその次に向かいます。

金毘羅さんを過ぎて少し山奥に入ると足元に「展望台」の案内。

うっそうとした中もう少し歩を進めると少々ミスマッチな階段(はしご?)。

そこを昇ると素晴らしい景色が臨めるそうです。

工事現場の足場を思わせる無機質な階段です^^;

鉄??スチール!?なんとなくふわふわした足元がおぼつかない展望台…ちょっとこわいけど、大丈夫…??(^^;)

不安になりながらも昇りきったら!

緑いっぱいの山々とその間に広がる町が一望できます!ほんとに緑が美しくいいところです。

写真を撮り忘れましたが近くに大きな木があり、それがご神木だそうです。もう少しパワーを頂いてきたら良かったとほんの少し後悔。

けど旅のほんとの目的はここから。

旧奥の宮ではとんでもない幸運が!

展望台を降り、脇にある側道に入って杉の林道をさらに奥へ進むと…

サムハラ神社旧奥の宮です。

さざれ石があってその向こうには石段と古い祠が。

通常、石段の一部が崩落しているため祠までは行くことができません。

が、この日は!

管理の方がお見えで祠の扉が開いているではありませんか!!いつもお越しの方も驚くほど珍しいことのようです。

しかもその管理の方にお話しを伺おうと話しかけたところ、石段を昇ってお参りもさせてくださいました!

ただし石段は写真の通り、崩落箇所があるうえ、幅も狭く手すりなどなく本当に危険です。勝手に昇ることは絶対に避けてくださいね。

さて最後にいよいよ本命のサムハラ神社へ向かいます。

いよいよサムハラ神社奥の宮へ

来た道を戻るように駐車場へ向かって進むとサムハラ神社奥の宮に出ます。

鳥居前には神社の由来が。神字で「サムハラ」と書かれているのが見てとれます。

しかし立ったまま読むには漢字も多くて少々ヘビーですね^^;

おおむねこの記事の初めの方に書いたような内容と思われます。ここは勝手ながら割愛。


鳥居の前までやってきました。

傍らの石碑にも鳥居にも神字で「サムハラ神社」と書いてありますね。
いよいよなんだなぁと実感。

いよいよサムハラ神社奥の宮にご参拝。


ほとんどの神社ではご参拝の作法が二礼二拍手一礼、 先ほどの金毘羅さんでも三礼二拍手二礼。
そんな中こちらのサムハラ神社では六礼八拍手と云われています。

それも深いお辞儀を6回、力を込めた拍手(柏手)を8回です。

もうひとつ。

この扇形の石の手前側に丸い形がありますね。ここに裸足でまずは左足をのせ次に右足。

裸足のまま上まで上がりご参拝。

ただ、作法については色々あるようなのでこの作法が絶対というつもりはありません。気持ちがこもっているのが一番ですし。

そして最後さらにさらに幸運が!

ここサムハラ神社奥の宮は神主さんがいない無人の神社です。
観光協会に問い合わせたら、お守りは個人の方が管理してくださってるそうなので、そちらにお電話してお守りと御朱印をいただいてきました。

ほんとうに個人宅へお邪魔させてもらうので、どうしてもお守りが欲しいという方は失礼のないように事前に手配しておいた方が良いかと思います。

ちなみにお守りは大阪のサムハラ神社さんから送ってもらっているそうなので、大阪のサムハラ神社と同じものだそうです♬

なんだかこの先明るいことが満ち溢れている感じがします(笑)。

とても貴重なものを拝受いたしました!ありがとうございます!

 

まとめ

今回は岡山にあるサムハラ神社奥の宮にご参拝に行ったことについてお伝えしました。

「思い立ったが吉日」なんて言葉がある通り、あまり日を置かずに出かけたことが良かったのか、様々な幸運に恵まれたとてもいい旅でした。

ここでも普段から頑張ってマイルを貯めている成果が現れました!

やっぱりマイルは頼りになります。

これからもマイルを貯め続けようと固く固く誓いました。